今回は、確率にまつわる悲しいお話をご紹介します。
確率を考えるうえで、ある事象が起こる確率が独立したものか、そうでないかということは非常に重要です。
その事象がどちらに該当するかによって確率の答えが変わるということは、中学、高校の数学でも教わる確率のキホンです。
しかし、このキホンを忘れてしまい確率が独立したものと思い込んでしまったことによる悲劇がありました。
今回は、そんな実際に起きた悲劇的な事件の判決をもとに、確率の独立性について考えていこうと思います。
この記事を読むと分かること
- サリークラーク事件とは
- 確率の独立性について
確率の独立性について
本題に入る前に、少し確率の独立性についてお話しようと思います。
確率におけて、2つの事象が独立しているとはいうことは、「片方の事象が起きても、もう一方が起こる確率に影響を与えない」ということを意味します。
これだけだと少し分かりにくいかと思いますので、具体例を挙げて説明していきます。
サイコロを振って出る目の確率
サイコロを一回振って1の目が出る確率は、1/6です。
続けてサイコロを振ったときに1の目が出る確率は、「(1/6)×(1/6)=1/36」です。
これは多くの方も分かる部分かと思うのですが、この計算は確率が独立しているからできることです。
例えば、前の試行で1の目が出たから2度目は出にくい、もしくは2度目も出やすい、といったことはありません。
これはつまり、サイコロを振って1の目が出るという事象は独立したものだ、ということです。
もう一つ、より身近な例で考えてみましょう。
黄身が2個の卵は続けて出やすい!?
まずは、スーパーで買ってきた12個入くらいの卵のパックを思い浮かべてみてください。
家に帰り「オムレツでも作ろう!」と思って卵を割ると、なんと黄身が2個入っていましたとします。
そして2つ目の卵を割ると、なんとまた黄身が2個出てきました。
「そんな馬鹿な・・・」と思いながら3つ目の卵を割ると、なんと、またしても黄身が2個だったのです!!!
「1つの卵に2個黄身が入っている確率を1/1000とすると、3連続で出たので(1/1000)3=1/1000000000の確率!これは奇跡だ!」と思うかもしれません。
しかし、実際はこの計算通りにはいきません。(3連続はかなりレアだとは思いますが)
なぜなら、ニワトリには黄身が2個の卵を産みやすい年齢があるからです。
そして、だいたい同じくらいの年齢のニワトリは一緒に飼育されることが多く、同じケースに入っている卵は一緒に飼育されたニワトリの卵である可能性が高いのです。
そう考えると、黄身が2個出てきた卵があったパックからはもう一つ、もう二つ・・・と出てきやすいということになります。
これはつまり、卵を割って黄身が2個出てくるという事象は独立したものではないということです。
これが、確率の独立性についてのイメージです。
それでは、本題のサリークラーク事件についてご紹介します。
サリークラーク事件
1999年11月、サリークラークは自分の赤ちゃんを2人殺害した罪で有罪判決を受けました。
そして刑務所に3年間収監されたのち、2007年に42歳の若さで亡くなりました。
これはイギリスで実際に起きた話です。
サリーの悲劇
サリーの第一子は乳幼児突然死症候群(SIDS)で生後11週間で死亡しました。
その後、サリーは再び子供を授かりましたが、今度は生後8週間でその子も乳幼児突然死症候群(SIDS)で亡くなってしまったのです。
悲しみに暮れていたサリーにさらなる悲劇が訪れます。
なんと、二人目が死亡したときに「二人の子供を窒息死させた罪」で告訴、逮捕されてしまったのです!
有罪の決め手は確率!?
本事件に関する裁判で、弁護側は「乳幼児突然死症候群(SIDS)なので無罪だ」と主張しました。
これに対し、検察側は以下のような反論をしました。
「赤ちゃんがSIDSで死亡する確率は1/8543、つまりクラークの家庭で二人の赤ちゃんがSIDSで死亡する確率は(1/8543)2=約1/73000000である。これは極めて低い確率である。」
「たしかに1/73000000という確率を考えると、そうそう起こることではない。。これは有罪の可能性が高いかもしれない。。」と思った方は、要注意です!
この考え方は間違っています。
なぜなら、赤ちゃんがSIDSで死亡する確率は独立していると考えるべきではないからです。
しかし、陪審員は先ほどの検察側の反論を聞いて、10対2でサリーに有罪判決(殺人罪で終身刑)を下しました。
サリーは本当に有罪だったのでしょうか。
サリーは無実だった!?
SIDSの原因はいまだ解明されていません。
そのため、環境や遺伝などの要因も当然除外するわけにはいきません。
もしそれらがSIDSに影響を及ぼすならば、赤ちゃんがSIDSで死亡する確率は、単純計算で(1/8543)2とはなりません。
つまり独立した事象だと決めつけて計算していること自体がすでに誤りなのです。
この誤りは認められ、裁判の数週間後に新たに赤ちゃんが二人続けてSIDSで死亡する確率が見積もられ、その結果は1/2750000ということになりました。
しかし、それでも確率が非常に小さく、有罪判決は取り消すには至りませんでした。
その後もクラーク家は、上訴のため専門の統計学者を雇い、上訴に臨みました。
上訴審には負けたものの、死に対する医学的説明を求め続けた過程で、第二子が亡くなるときに細菌感染にかかっていたという事実を検事側の病理学者が押さえ込んでいたことを暴きました。
第二子の死亡は、その感染によってもたらされた可能性があったのです。
この事実をもとに、裁判官は有罪判決を破棄し、サリー・クラークは約三年半の刑務所暮らしから解放されたのです。
しかし、この事件がサリーに与えた精神的ダメージは大きく、サリーはアルコール依存症となってしまいました。
そしてその後、42歳の若さで急性アルコール中毒で亡くなってしまうのです。
まとめ
今回は、確率の独立性を誤って認識したまま有罪判決を下したことで有名な事件の紹介でした。
紹介していて胸が痛くなるような事件ですね。
この事件では、正しい確率を計算された後でも有罪判決のままでしたが、少なくとも誤った確率計算を根拠に逮捕されたらたまったものじゃないですね。
正しい確率の考え方を身につけることの重要性を再認識させられた話でした。
(参考)アンソニー・ルーベン著・田畑あや子訳(2019)『統計的な?数字に騙されないための10の視点 STATISTICAL』、株式会社すばる舎リンケージ
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